メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第144章

原宿の兵(つわもの)

1978年2月、代官山旧山手通り、ヒルサイドテラスの真向かいに店を構えることが出来た現実はあまりにも恵まれ過ぎていた。幸運どころの話ではない。これまでの私の人生を振り返ると、周到に準備された脚本が既に出来上がっていたのではないかと思わざるを得ない。店を一軒家風に設計してくれた渋谷公園通り店からの友人、椅子、テーブル、看板の手造りを手伝ってくれた当時の従順なスタッフ達、そしてラ・カシータを贔屓にしてくれた音楽、舞台、映画、服飾、芸術の世界で活躍する一流アーティスト達。何もかもが非の打ち所が無い舞台が整って、今日まで時が刻まれてきた。当時からお互いを干渉せず、それぞれが個で向き合える環境が代官山のロケーションだった。斜向かいの奥にKings Homesという名のマンションがあった。そこの住民の方々も店のファンが多く、中でも毎週のように食事に来られる家族が居た。旦那様がイギリス人、奥様は日本人、子供が3人、計5人でいつも来店、子供達はビーフタコス、ケサディージャ、エビのニンニク炒め、メキシカンライスなどが大好物で、日曜日の午後の一時をゆったりと満喫していた。予約は常に奥様からギャンブルの名で入るので、顔と名前は知っていたが、相手を詮索しない質なのでそれ以上は知らなかった。20年ほどして彼がイギリスの本社に戻る話を聞いている時、思わぬ事実を知る。何と勤めは大手証券会社、それで名前が『ギャンブル』とは、正に言い得て妙である。

旧山手通りは大使館もあり、駐車に関しては鉢山交番もうるさく言わなかった。それぞれがカスタムメードした10数台のハーレーが訪れた日は壮観だった。テラスの前はまるで展示場で、道行く人々は一様に見入っていた。印象深い男がいた。その群れに属さずいつも大型ハーレーで一人来店。身なりは、黒い革ジャン(夏でも)にサングラス、身体は厳つく、グラスを外したその顔は目つきも鋭く強面だった。只者では無い、そう感じたが意外に口調は優しく、「ほんと、美味しいね」と店が気に入っている様子だった。後に知ることになるが、原宿で4件ものレストランを経営する実力者だった。その中の一軒『クロコダイル』は伝説のライブ・レストランとなる。社会から逸れた若者達に音楽の世界を気づかせ、個の生き方を導いたこの店から巣立った多くのロックバンドは、武道館を満杯にするスーパースター達に成長していった。故内田裕也さん、故安岡力也さん達は彼を「おやじさん」と慕い、今だ現役のトップミュージシャン達も同様であった。一回り以上年上だったが、来店の度に私の生き様を褒めてくれ、ある時はすがるように「サルサのレシピを教えて」とせがまれたこともあった。1999年に病死するまで通い詰めてくれた彼、竹下通り、表参道に裏社会を介入させなかった兵の名は村上元一(通称ガンさん)。顧客の中でも鮮烈に覚えている男だ。