メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第143章

レトルトへの挑戦

1976年7月、渋谷公園通りにラ・カシータを創設した頃、まるで時を合わせたかのように、慶應義塾大学にラテンアメリカ研究会が設立されていた。部長を担う森下君の家庭は、岡山で祖父の代から中南米諸国との船舶貨物業を営む恵まれた環境。前年の1975年には、地元の日生に森下美術館が開館していた。北はメキシコから南はボリビアまでの11カ国で出土した作品2200点を収蔵する国内では希な存在だったが、当時はあまり話題に上らなかった。奮起した彼は、もっと中南米を知ってもらおうと活動を始めたと、その頃、私の店を訪れては熱く語っていた。世間のメキシコに対する認識不足を補いたい私の主張に賛同、料理の味に感動してくれた当初からの付き合いは現在も続いている。因みに結婚式の披露宴も店を選んでくれ、約50人が大いに盛り上がった出来事も懐かしい思い出である。事が大きく動いたのは2005年、理事長に就任したのを機に、BIZEN中南米美術館と名を改め、3日間に及ぶイベントを開催した。マヤ、アステカ、インカの研究者、歴史学者、音楽家、美術の大家達を招聘、その報道は地元だけではなく、全国のメディアが取り上げるほどだった。私もメキシコの食文化を語る料理講習を依頼され一日3回、計9回の調理実習を務めさせていただいた。

この頃はイタリアンが大ブームで、メキシカンの本当の美味しさを世間に知らしめたい彼はある行動に打って出る。「店のアリをレトルト食品で販売、日本の食卓に活用できないか?」との発案であった。料理教室ではそのように授業を行ってきた私には嬉しい限りで、何の異論もなかった。直ぐ様、企画を作成、地元の食品業者をラ・カシータに招待し、味を堪能して貰い、試作が始まった。約半年かけて繰り返された試作の味は、ほぼ完璧に仕上がっていた。豆腐、ハンバーグ、パスタ等、身近な食材に手軽に活用できる3種のサルサは好評だった。幕張で行われる食品イベント『フーデックス』にブースも準備され、いよいよの時だった。業者から販売価格が600〜800円との通達が知らされた。コロナ禍の時節、800〜1000円を超えるカレーやパスタソースが売れ行き好調の今ならいざ知らず、当時は200円台が主流の中、とても強気で販売とは行かなかった。よく出来た商品だっただけに、またいつかチャレンジできたらと願っている。昨年(2019)の秋には、美術館の催しで1000年前のマヤ文明の料理を披露したいので調理してほしいとの依頼を受け、題材は『タマレス』、トウモロコシの生地に具材を加え、その葉で包み、地面に穴を掘り、竜舌蘭の葉で覆い、蒸した一品である。時代考証の末、選んだ具材は『鹿と猪』。調理した私も楽しかったが、味見した彼は至極ご満悦だった。還暦半ばだが、学生時代のまま行動力に溢れる森下矢須之、料理人生の良きパートナーである。