メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第24章

情熱の国、メキシコ。そして同士たち

セレサ代官山店の工事に並行して、私は更なる活力充電の為、メキシコへ旅立つ準備をしていた。同行を希望した店長の松田、料理長の市川と共に各主要な街を巡る計画を立てる中、それぞれの地域のレストラン・市場・定食屋・タケリアに育成された食の根拠に迫り、それを探るべく旅にしようと、旺盛な探究心にそれぞれの思いは膨(ふく)らんでいた。オープン2ヶ月前の頃だった。太平洋岸、アカプルコに降り立った私達は休む間も無く、即、街へ出かけた。手にはノートとカメラ。数軒の店で、地元のシーフード料理や定番の皿を注文する度に写真を撮り、スケッチを描き、食材や調理法の印象と味の感想を書き込んでゆく。3人だと数多くのメニューを食せるので、かなりの種類の分析が可能だった。全員が観光気分に浸ること無く、真摯な態度で食の探索に励んでいたが、久しぶりの訪墨に私の心は弾んでいた。3日後、メキシコシティに移動。早速、師匠(Gabriel)の元を訪ねた。彼は突然の来店に驚きながらも、満面の笑みで私を抱擁し、再会を喜んだ。伝統の味を堪能する中、撮影の許可を得てメモを取り続ける私達に、調理の合間を窺(うかが)いながら側で解説を加えてくれた。「厨房を見たい」の要求にも快く仕事場を隅無く案内し、存分に私達に知識を与えてくれた。その姿に同行の2人も感動を覚えていた。

偶然、高校時代からの盟友中本が、大手商社の財務の長としてシティに赴任していた。家族は6ヵ月後まで来ず、単身で寂しい生活を送っていた彼は、外地での出会いを悦び、事ある毎に逢いたがっていた。滞在中、老舗の名店での食事の後、一晩泊めてもらったが、寝室は3つ、バスルームも3つ、広いリビングは2つ、キッチンやメイドルームなど、日本では想像もつかないほどの環境に一人で住んでいた。部屋の間取りを案内した後、彼は余程嬉しかったのか、子供のようにはしゃぎ、2人で酒を酌み交わしながら会話は尽きる事無く明け方まで飲んだ。それからの行程は、銀の里タスコからインディオ文化のオアハカへ渡り、スペイン軍上陸の拠点となったベラクルスからマヤの聖地メリダへと旅は続き、最終地ロス・アンジェルスでのTEX−MEX料理に至るまでの3週間の旅程は無事終了した。この時の経験が、以後の講習や料理本編集に際し頗(すこぶ)る貢献したのは言うまでも無い。先日、中本が亡くなったのを知らされた。10年程前にも市川が病で逝ってしまった。同士を失う人の世の儚(はかな)さを想いながら、命ある限り、更なるメキシコ料理探求への道筋を邁進する気持ちでいっぱいのこの頃である。