メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第38章

栃木、大田原の唐辛子

メキシコ料理の要(かなめ)として君臨する唐辛子の類いは、自国だけでも優に100を超える。1492年、コロンブス上陸後、海を渡ったそれらは、今や全世界に分布し、姿形を変え、各国に子孫たちが繁栄している。我が国でも数多くの種が現存するが、中でも『鷹の爪』の名称で知られる赤唐辛子が最も一般的ではないだろうか。この種の最高品質を誇る『栃木三鷹』を生産している栃木県大田原市では、『大田原とうがらしの郷づくり推進協議会』が発足して以来、毎年『全国とうがらしフォーラムin大田原』というイベントが行われている。調理のお誘いを受けたのは2010年の夏も終わる頃。例年、調味料や製菓など、製品化された物を中心にアピールしてきたが、今回はメキシコ料理で『三鷹』の個性を表現していただきたいとの依頼だった。食材のサンプルを味わったとき、望郷の念に駆られるかのような思いに身体が反応したのは、本国から旅立って立派に日本の地で成人した唐辛子の熟成の旨味にだった。メキシコ伝来の香りや持ち味を覗かせながら、大田原の地の姿に成熟していた。心が弾んだ。これだったら地域カラーの、独創性溢れる数種のサルサが活用できると確信が持てたのである。100人余りの招待客を賄うには、前日からの仕込みが不可欠。胸の高鳴りを覚えながら当地へ向かった。

その日の夜、宴会場の料理長以下、調理スタッフ5人の協力を得て無事準備が完了した時点で、厨房には美味しそうな匂いが漂い、味見を求める関係者で賑(にぎ)わっていた。当日、市長をはじめ、農学博士の松島教授、善光寺の七味でお馴染みの株式会社八幡屋礒五郎の社長、ハウス食品株式会社の商品開発部、流通業者、地元の生産者など、錚々(そうそう)たる顔ぶれが揃う会場と厨房をTVカメラで中継しながら宴は始まった。一品出し終えるとカメラに向かい、食材の特徴と配合のバランス、大田原の唐辛子が持つ性質と味わいの妙味、メキシカンのレシピの中で融合する和風の成り立ちを、それぞれに解説してゆく。地産の豚や牛、鶏肉、卵や数々の野菜類を駆使した献立は、出席者全員を魅了したようで、調理後、広間へ顔を見せると盛大な拍手に包まれた。壇上でメキシコの唐辛子文化を語り、質疑応答に入ると矢継ぎ早に質問が相次いだ。流石に関心の高いメンバーが揃う中、丁寧に全てお答えし、会は終了した。気がつけば、朝、宿で朝食をとってから夜まで何も口にしていなかったが、不思議と身体は充足感に満ちていた。近い将来、大田原発信の独自のサルサが地元に根付くことを願ってやまない。