メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第44章

少女漫画に書かれたメキシコ料理講座

「食」に興味を持ち、それが自身の中心核となり始めたのはいったいいつ頃からだろうか? 幼い頃は家の回りに食材が溢れていた。夏時分、近くの畑には胡瓜、トマト、茄子などがたわわに実り、勝手気ままにもぎっては口にしていた記憶がある。道端にはとうもろこしや砂糖きび、庭には無花果(いちじく)や枇杷(びわ)が生り、そんな景色を眺めているのが好きだった。 駄菓子屋に行っても一番心を引かれたのは、黄な粉をまぶした、手作りの型で抜いたゼラチン菓子だった。5〜6才の頃の思い出である。誰しもがそうであるとは限らないが、料理人や評論家にならなくても、食への興味を生涯持ち続ける方々が大勢おられるのが、調理の表現者となった自分の励みと考えてきた。美食へのこだわりを自分の仕事の風景として捉えている典型的な例は、文筆家の作品に顕著(けんちょ)に見られる。池波正太郎氏や壇一雄氏の作品には一皿、一皿の実態だけではなく、香りや美味しさが如実に文面から伝わってくる。メキシコ料理もいつの日か、こんな風に書いて貰えないかなあと、遥かな夢を持ち続けていた。意外に早くその成就はやって来た。それは旧山手通りにオープンして4年も過ぎた頃だった。椎名誠氏のエッセイの中にラ・カシータが発信する料理の味わいと感動、新たな発見の文章が表現されたのである。追いかけるように女流小説家、中島梓女史の作品のワンシーンに、代官山ラ・カシータでの食事の光景が料理と共に登場するのである。感無量だった。

それから時は過ぎて2002年の暑い夏の頃だった。竹之内淳子と名乗る漫画家の先生が訪ねて来た。依頼は、次回の物語がメキシコが舞台だが、街の背景が想像出来ないので写真を見せて頂きたいとのお話だった。後日、訪墨した時のものや資料本などを参考に、現地の地域性や国民性をレクチャーし終え、折角だから食事をして行きますと何品か召し上がっている時の事だった。「こんなにメキシコ料理って美味しいんですか!」と驚嘆されるので、食文化の話に移行し、チャンスとばかりに、今度の作品に料理の登場は無理ですか?と強引ながらお願いをしてみた。翻訳本なのでストーリーを変える訳にはいかないとシナリオ構成の担当者は困っていたが、先生は余りにも気に入ったのか心が揺らいでいた。一週間後、再び来店した彼女たちの返答には思わず「やったあ!」と達成感の気持ちが溢れ出た。何と、筋書きを変更して、ヒロインの船上での食事シーンや訪問した家庭での場面にワカモーレやエンチラーダス、タンピコ風ステーキなどが登場するのである。そしてラスト、二人の心を結びつけるキーワードは、料理名でハッピーエンドを迎えるという結末に見事に変更されていた。更に感謝感激の出来事は、編集長の計らいで3ページ増えて、少女漫画に描かれた私自身が語る番外のメキシコ料理講座までもが構成されていた事である。