メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第60章

料理教室の意義

旧山手通りにオープンして3年も経った頃には、有り難いことに年間40〜50件にも及ぶ週刊誌や月刊誌、ガイドブック、TVなどのメディア取材が殺到したおかげで、店は連日盛況の日々を達成していた。その影響か、調理志願者は引きも切らず、興味を持って入店した彼らに指導している自分が、使命感を覚えているのに気付き始めていた。時代の壁を一つ取り払って、少し前へ進める確信が芽生えた瞬間だった。茅ヶ崎の文化カルチャーから講師依頼の電話が鳴ったのは、その時期だった。担当者達が下見の食事の際、その美味しさに大感激しましたという思いが、依頼の理由と聞かされ、感無量だった。ようやく自分が求めていた導きが現実になった知らせは、身体が身震いするほどの喜びだったのが記憶に新しい。当日、勇んだ気持ちを胸に抱えて茅ヶ崎駅に出向いた私を、拍手と歓声を上げて迎えてくれた係の女子達に案内され、駅から数分の会場に到着した。調理施設の整った立派な部屋だった。女子ばかり総勢20名の生徒を前にして、気持ちが高ぶったのか、メキシコ食文化の解説を話し始めて気が付けば1時間が経過しており、係から「先生、そろそろ調理に?、、」と促されてしまった。残り1時間、猛スピードで授業を進行し、何とか無事に終了した。質疑応答の際、質問は?と問いかけると、一番にハイッと大きな声で手を挙げた一人が「先生、血液型は?」の言葉を印象深く思い出す。

それから東京ガスや民間の教室をいくつか経験し、授業の進め方も慣れてきた頃だった。大手の朝日カルチャーから依頼が舞い込んだ。新宿住友ビルの4階全フロアーに構える名門校である。老舗や有名料理店のシェフ達が名を連ねる文化施設に仲間入りできた事実は、大いなる自信に繋がった。数回、不定期に招かれる状況の折、30名弱の生徒の中に、近郊のメキシコ料理店の経営者が混じっていた。数店取り上げられる雑誌取材の度に、他の店を見比べ、なぜサルサやトルティージャを手作りで提供できないんだろう?と日頃口にしていたが、決意して参加してくれた勇気に感謝の気持ちだった。デモンストレーションの後、贔屓目ではなかったが、気になり丁寧に教えていた。現在はその店は存在しないが、この頃は何回も通われ、真剣に取り組んでいる姿があった。一般の生徒が会得するのも必要なことだが、いつの日か、プロを養成するだけでなく、プロが気付いて学んでくれる未来を想像していた。ある日のこと、帰り支度を控え室でしていたとき、「先生、生徒さんがお話ししたいと、、」とスタッフに声をかけられた。料理の質問かと思いきや、何と就職志願だった。彼曰く、自分は今、建設関係の会社に勤めていますが、ラ・カシータにお伺いしていただいた卵料理に感動しました。今日、この場所で更なる思いが強まり、是非、雇ってくださいと。即答はできなかったが、従業員達と相談の上、受け入れる決定をした。数年、店で修行した後、彼はずっと料理の道を歩んでいる。