メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第65章

禁断のテラス営業

1976年の開業以来、それぞれのお客様の胸に根深く刻み込まれたラ・カシータのイメージには、やはり旧山手通りの存在感が大半を占めているのではないだろうか。常連の顧客たちだけでなく、30数年ぶりに来店される方々がこぞって口にされるのは、「あの店は良かった」の言葉である。初めて出会ったタコスやサルサの美味しさに感動したことも話題にはなるが、何と云っても「テラスが素晴らしかった」とベタ褒めの嵐である。飲食商売にとっては致命的な人通りの少なさも幸いして、ゆったりと刻が流れる代官山の一角に出現した一軒家風のレストラン、その前に10坪の庭。思い返しても出来過ぎのロケーションだが、これには今だから語れる秘話がある。以前の事務所の駐車場が勿体なくて、古い赤煉瓦を敷き詰め、砂を入れた窪地を造り、テキーラの原料である竜舌蘭を構え、看板を設置した壁際の下部には多種の観葉植物を植えてみた。そして手作りの木製テーブルや椅子には明色系のペンキを塗り、如何にもメキシコを感じさせるガーデンテラスが出来上がったのだが、難問が待ち構えていた。保健所に営業許可の申請に伺った折、図面を見た係官から指摘を受けた。衛生上、戸外での飲食提供は許されておらず却下されてしまった。メキシコは勿論、諸外国では普通のことが、この時代の日本では規制が厳しい状況だったのである。さあ困った。考慮の結果、ある手段に出る。

元々駐車場だったのだから、図面を書き換えて改めて車用として申請を行い、実地検分当日、全てのテーブル、椅子を裏の小路に運び、隠したのである。係官は何の疑問も持たず、シンクの数と手洗い設置の確認だけ執り、無事に営業許可証が発行された。今更ながらに当時の係官に陳謝である。店はしばらくして繁盛することとなり、連日予約満席、週末には行列ができる日々が続くのだが、テラスの人気は鰻登りで空席待ちの予約が入るほどだった。まだ携帯も無い頃、並ぶか、近くの店で時間を潰し、空いた頃を見計らって来店する状況の中、幾つかの現象が生まれていた。現在では考えられないエピソードだが、小路を挟んだすぐ横のガソリンスタンドで洗車が始まると、食事中のテーブルに水しぶきが飛んで来るのである。洗車が終わるまで皿を持ってそこを離れ、立ったまま召し上がっていた。究極は雨が降ってきた時。店内が満席の折だった、「マスター、傘貸して!」とお願いされ、そのお客様は雨の中、黙々と食事を続けられた。有り難いことに、全て屋外の出来事として許していただけた。時代に助けられたのかどうかは今も判らないが、ラ・カシータを愛おしむ顧客たちの寛容さに改めて大感謝を申し上げたい。時は流れ、規制も緩和され、テラスがある店も増えたが、貴重な体験としてあの頃を語る人々が後を絶たない。