メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第75章

憧れのシェフ ムッシュ村上

メキシコの西部、ミチョアカン州にあるパツクアロ。標高2,175mのこの高地には幾つかの湖が点在する。ミチョアカンとはナワトル語で「魚を持つ人の土地」。観光地として人気があり、名物料理はやはり鱒や鯉、小魚などの淡水魚を調理したものが代表とされる。スペイン人の侵略の折、エルナン・コルテスの先住民に対する強制労働や奴隷化にもめげず、現在も頑なに部族の伝統を守り続けているプレペチャ族のリポート番組がBSで放映されたことがあった。村の実態は、週に一度教会前の広場に立つ市で産物や食材を物々交換し、石のかまどで食生活を営み、近隣家族と仲良く暮らしているといった内容だった。ふと思い出す情景がある。私が幼い頃の昭和20年台後半、我が家も同様だった。まだ暗い早朝、祖母は土間に下り、釜に米を研ぎ、かまどに薪を焼べるのが1日の始まりだった。七輪の練炭の火を起こすのが自分の役目。辛い気持ちは全く無く、むしろ楽しかった覚えがある。特用マッチを擦る時やアルマイト鍋が煮えたぎる様、火鉢に網を置き、焼いた酒粕や欠き餅、干し芋の香ばしい味など、遠い記憶だが鮮明に浮かんでくる。近代の日本では消え去ろうとしている生活感が、メキシコ本国には未だ根付いている現状に考えさせられてしまう。果たして、道具や食材、調理方法に留まらず、そこに存在していた心の一体感や家族の時間の流れこそが人々としての暮らしの要なんじゃないかと。

料理人を志し、修行を重ね、店を構えて来た道程の中で数えきれないくらいのシェフや親方たちと出会ってきたが、憧れた方が一人いる。帝国ホテル元総料理長、村上信夫氏。最初の遭遇は私が中学2年の頃だった。NHKの画面から流れてきた声が胸に刺さった。「私のやる通りやれば、絶対に美味しいものが出来る。料理は美味しくなければ。」心が共鳴した。ウスターソースやケチャップを使ったハンバーグなどは当時の自分にも分かり易く、皿も本当に旨そうだった。何よりも心を奪われたのは、調理するのが本当に楽しそうで、試食の相手が「美味しいです」と褒めると、目を細めて満足げに喜ぶ姿だった。技術に裏打ちされたプライド高いホテルの職人なのに、家庭にある材料で簡単に西洋料理を作ってしまう。見事な包丁捌きの工程が進む中で、ひょうきんな顔とアドリブ豊かな説明に引き込まれていた。「ベリーグーです」と自画自賛するのが正直でかっこいい小父さんだった。それから時は過ぎ、平成10年を迎えたあたりに彼の人生ドラマを観る機会に恵まれた。戦地で死にかけた友が「死ぬ前にパイナップルが食べたい」と望む。奇跡の思いつきで凍ったリンゴを甘く煮て切り目を入れ食べさせた。その戦友は生きる望みを抱き、一命を取り留める。料理人の生き様に感銘を受けた。更にNHK『きょうの料理』の再放送が、料理に対する思いとして私が影響を受けた時の遠い記憶を蘇させる。今なお解る。自分も同じように食材と向き合ってきた。いつかNHKの現場で、憧れるムッシュ村上のように振舞いたい。全国放送でメキシコ料理の真髄を披露できればと、思いは募って行った。