メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第76章

NHK『きょうの料理』

朗報の電話が鳴ったのは2012年も暮れようとしている12月下旬の頃だった。念願だったNHK『きょうの料理』からのお誘いである。大きな喜びに承諾の声は上擦っていた。訪ねてきたディレクターの話によると、「渡辺さんは以前から候補に挙がっていました。切っ掛けはユネスコの世界無形文化遺産に登録された報道です。世界に類のない長い歴史の食文化の美味しさを是非、一般家庭に教えていただきたい」との依頼だった。半世紀以上の国民的長寿番組が初めてメキシコ料理に着目してくれた事実は心から嬉しかった。綿密な打ち合わせが始まった。全国放送であるだけに、離島でも手に入る食材が条件。トルティージャやチレ類の使用は無理だった。サルサ・メヒカーナやワカモーレまでは何とか行き着いたが、そこからが難関だった。食卓への応用は、冷奴や焼いた厚揚げ、豚カツにサルサをかけたり、アボカドディップを手巻き寿司にしたりで、上手く纏まったが本筋ではない。折角の機会、本国ならではの景色が欲しい。ふと過ぎるものがあった。ワカモーレは今や前菜の定番だが、元々は焼いた肉のソース。代表的な肉料理、タンピコ風ステーキを提案してみた。切り方の特徴や、家族で囲むホットプレート調理への活用も可能で、即、OKが出た。しかし、まだ物足りない。主食や出汁の見えない構成は納得がいかなかった。何度か協議を重ねるうち、担当者が「ロケをやりましょう」と決断する。

スタジオ収録はライブで行われる。でも主食や唐辛子などの紹介なら録画コーナーで放映できる。素晴らしい進展だった。後日、トルティージャを焼く様や、幾種類もの旨味出汁が出る本国唐辛子の説明を撮り終え、いよいよ本番を待つばかりだった。当日、現場の調理補助スタッフたちに献立の分量と手順を解説しながら準備を進めていた時のことだった。何十年も歴代の名調理人に接してきたベテランばかりである。半信半疑の様子が窺える状況の中、試食を勧めてみた。6人全員から驚きの声が出た。「美味しい!先生、これ塩だけですよね!」感嘆の瞬間だった。一気に距離が縮まり、胸に安堵の気持ちが広がっていった。リハーサル中、カメラや音声、ADさんたちにまで嬉々とした表情で「本当に美味しいのよ」と彼女たちは触れ回ってくれた。もう大丈夫、これで楽しく本番に臨める。与えられた役割はとてもムッシュ村上には追いつかないが、この夢舞台、初のメキシコ料理披露にベストを尽くそうと心を奮い立たせていた。「お疲れ様!」収録が終わった。約20名のスタッフ全員が拍手喝采。司令室からプロデューサーが駆け下りてきた。よかったですと握手を求められていた。感激したのはその2週間後、調理補助の彼女たちが店を訪れ、「どれも全部美味しい」と褒めてくれたこと。経験豊富な方々に新たな一ページを提供できた達成感が心地よかった。この出来事が更なる事態の発展へ導いていく。