メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第89章

2002年ワールドカップ

1964年開催の東京オリンピック。その舞台裏を記録した番組がBSで放映された。世界各国から来日する約700人の選手たちの食事を全て賄う料理人の奮闘ぶりが描かれていた。帝国ホテルの村上信夫氏の呼びかけに応じて、全国から集まった300人の調理担当者それぞれに惜しげも無くホテルのレシピを渡し、1年半かけて教育実習を行うのである。貴重な映像が残されていた。メキシコに関しては未知の領域のため、ムッシュ村上本人が大使館まで出向いて教えを請うのだが、「Chili con carne」を要望しているのである。思うに、英語の料理書を参考にしたのだろう。しかし大使館の賄い婦が調理している映像を観ると、ラードと塩で煮豆(フリホーレス・デ・オージャ)を作り、牛挽肉を加えていた。相手の立場を考慮して講習したと推測されるが果たして選手村の現場ではどうだったのだろうか?当時、私はまだ高校生。時を遡ることが許されるなら、是非、お手伝いをしたいと画面を追いながら感じていた。唯、村上氏の実行力には心底敬服する。町場とホテルのコックが共に仕事をするなど考えられない時代である。やはり料理への追求が熱意を促し、タブーとされる状況を覆していくのだろう。メキシコ料理の道筋は課題が多いが、表現者が増えることで前途に光明は見出せるはず。近年、中南米に興味を持つ若者たちが店を訪ねてくるので少しは期待できるかも。

福井の海岸ホテルの料理長とセコンドが、メキシコ料理のレクチャーをお願いしたいと訪ねてきたのは2002年の2月頃だった。サッカーのワールドカップで合宿予定のメキシコチームに提供する食事が皆目見当が付かなくて、大使館に相談したらラ・カシータを紹介されたとの説明だった。丁度専門書を刊行したばかりだったので、基本のサルサを使った幾つかの皿を食べながら、レシピとポイントを読んでもらった。青唐辛子や鷹の爪でもできなくは無いが、本国の食材を扱う業者から購入するのが最適、そしてスパイスに頼らず、塩と風味を持つ乾燥唐辛子の旨味や香りが海鮮や肉、野菜を成熟させるという話に聞き入り、熱心にメモをとっていた。気に入られたのは燻製唐辛子を使ったサルサ・チポトレ、トマトが主の単純明快なサルサ・ランチェラ、鋭い辛さのサルサ・ロハで、どれも全部美味しいとの評価をいただけた。調理人だけに呑み込みは良かったが、トルティージャに関しては練習が必要で、できなければパンやメキシカンライスで補うよう勧めてみた。ハンバーグやステーキ、煮込みなどへの応用を提案したら、大変な喜びようで、二人から固い握手でお礼をされ、使命を果たした充足感に満たされた夜だった。後日談になるが、八百長疑惑で解任されたアギーレ氏は、当時のメキシコチームの監督で、全日本の重責を引き受けた時の理由の一つに、合宿地のホテルの料理が美味しかったからとのコメントがあったとサッカー関係者から聞かされた。自書を読破し、実践してくれたあの時の二人に感謝である。