メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第93章

食用サボテンの救世主

メキシコの象徴とされる『サボテン』。メキシコを主題にした米国の映画には必ず風景に映っていたり、竜舌蘭が原料のテキーラもサボテンの酒と勘違いされるほどその印象には根強いものがある。私も本国へ渡るまでは、サボテンが溢れる中に街があると思い込んでいた。修業当時の1974年、すでにメキシコ市は高速道路や地下鉄が完備された近代都市であり、あまりの場景に驚いた記憶がある。しかし彼らの食生活には欠かせない食用サボテンがあった。NOPALITO(ノパリート)と称されるそれは、ビタミンやミネラルの栄養価に富み、体内の老廃物を排出する成分を持つ優れた野菜で、全国のスーパーやメルカード(野外市場)では山積みで売られている。家庭ではそのままのステーキや茹でてサラダ、煮物、スープの具材、肉類との炒め合わせなど、一般的な惣菜として親しまれ、タケリア(タコス店)、定食屋、レストランの献立としても定番である。例えるなら、我が国のインゲンとオクラを合わせたような味わいで、青っぽさと少しの苦みが特徴であろう。長年、メキシコ料理店を営む中でこの食材を切望していたが、築地の市場にも使えるものは無かった。救世主が現れる。その男が訪ねてきたのは、2000年の秋の頃だった。きっかけは、その前年の『地球の歩き方』に載った私のインタビュー記事である。メキシコ行きを決意した出来事や、地を這うように探求した体験が掲載されていた。

来訪の前に届いた手紙には、自己紹介と記事に感動した思いが便箋11枚に綴られ、「是非、お会いしたい!」と熱望の言葉で括られていた。常緑多年草(サボテン科)の研究のため、滞在していたメキシコでそれを読み、仕事への向き合い方が自分と共感する部分が多々あると語り始め、この国のサボテンに体する誤解を解きたいと、強い思いを吐露してくれた。3時間に及ぶ対談で意気投合し、別れ際、「何か、自分にできることはありますか?」と問いかけられたので、入手困難の食用サボテンの件を話したところ、即座に「私が作りますよ。専門ですから」と夢みたいな答えが返ってきた。群馬県桐生市で11棟ものハウスで常緑多年草を育成している彼にとってはお手の物だったのである。数ヶ月後、送られてきた現物に驚愕した。何とあるべきトゲがないのである。品種改良して余計なものは取りましたと簡潔に説明して貰ったが、流石の技に感心するばかりであった。扱いやすい上に一年中安定供給という状況が生まれ、顧客に提供するうちにリピーターが増え、特に、フレッシュサボテンジュースは人気メニューとなっていった。このまま交流が続くと安心していたが、2013年の冬、天候異変の悲劇が彼を襲う。2月の大雪で、殆どのハウスが倒壊してしまうのである。電話が鳴り、「申し訳ないが、もう出来ない」と告げられた。慰める言葉も見つからず、ただ再起を祈るだけだった。その後、連絡は途絶え音信不通だが、元気でいて欲しいと思う。サボテン開拓の先駆者、島田明彦氏に心から感謝である。