メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第102章

最後の晩餐

近年の研究によると、メキシコ中央高原にトウモロコシや唐辛子が突如出現したのは、約一万年くらい前とされている。思いがけない神からの贈り物はしばらくの間、野生のままその姿を保ち続けていた。紀元前7千年頃から集落における農業が始まり、共同生活を営む中でそれらを巧妙に活用した食文化が生まれたのは、必然の結果だったのかもしれない。メキシコ料理がユネスコ世界無形文化遺産に選ばれたのは、その歴史の深さもあるが、トマト、ウチワサボテン、カボチャの花、エパソテ(アリタソウ)、豆などを絡めたその独創性に富んだ調理法に由るものが大きいだろう。数千年にわたり日本の5倍以上ある国土に培われた、数え切れないほどの味覚の彩りに興味が尽きることはなく、これからも精進して表現していきたいと考えている。ラ・カシータを創設した頃、頭を悩ませたのは日本人の食に対する繊細さであった。見た目の盛り付け、香り、色合い、食感、喉越し、そして調理の際の材料を切る大きさ、熱の入れ加減など、課題は山積みであった。本国の美意識ではあまりにダイナミック過ぎて、そのままの提供は難しいと感じていた。毎夜、修業時代のノートを開き、レシピから逸脱せず、食材のボリュームを減らし、加熱した肉や海老にかけるサルサの分量、皿の上での並べ具合、レモン、パセリを添えた彩色豊かな品々を考案、日本のロケーションに似合う姿はその美味しさを充分予感させた。

当時、メキシコ料理のイメージは激辛のジャンクフード。意外にも口に入れた一つ一つの皿が醸し出す優しい味わい深さは来店客を喜ばせ、徐々にリピータは増え、ファン層は広がっていった。現在でも、ワカモーレ、ケサディージャ、海老のにんにく炒めなどテーブルに置いた瞬間に「ワー、美味しそう!」の声が毎回挙がる。シンプルに美味しさを提供することが店の使命だと継続してもう40年余になるが、どの顧客達もそれぞれの好み料理があり、40年近く飽きずにいつも同じ注文が来る。「たまにはチャレンジャーになったら?」と声をかけても、いやこれとこれが食べたいからと全く動じない。考えてみれば冥利に尽きるのだが、感心するくらいの執着ぶりである。ここ数年、二人の顧客からお願いされている事柄がある。縁起でもないが、「もしもの時、最後の晩餐をここの料理で」の切望には感心を通り越して驚くばかり。メキシカンライスは共通しているが、一人は海老のメキシカンソース、もう一人は海老のにんにく炒めである。二人とも、一回り以上年下なので、最初は冗談だと思ったが、来店の度に本気だと言い張っている。学生時代から通ってくれる一人は、今や大手広告代理店の支店長にまで出世したが、激務らしく「絶対、自分が先に逝く」と家族の前でも宣言し、先日、奥様、子息を含めて約束させられた。一度しかない人生、動ける限り何があっても調理に行くつもりでいる。