メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第137章

メキシコのコーヒー豆

若い頃はコーヒーが苦手だった。育った家庭環境の中で紅茶が主だったわけもあるが、昭和の時代、神戸の喫茶店やレストランで提供されていた商品は濃くて、とても苦かった覚えがある。当時は1ドルが360円、輸入物は全て高額で、一杯の値段はアルバイトの時給とほぼ変わらず、高嶺の花でもあった。好みが一変したのは、メキシコでの修業の折だった。水道事情があまり良くないこの国では、仕事中に生水は口にせず、専ら飲み物は温かいコーヒーだけだった。朝、出勤すると厨房では大きな寸胴鍋に沸かせた湯の中へ、叩き潰した豆を放り込み、煮出したものが常に側にあった。いかにも大胆で荒っぽいやり方には驚いたが、ミルクも砂糖も入れず、ちょうど私たちの日本茶のように皆が飲んでいた。最初は戸惑ったが、しばらくすると身体が馴染んだのか、とても美味しく感じるようになっていた。帰国してからは習慣付いて、この数十年、毎日1リットル〜2リットルを浴びるように飲んでいるが、肝臓も胃腸も健康である。因みに本国にはアイスコーヒーは存在しない。日本でも近代はペットボトルの冷たいお茶が主流になっているが、その昔は冷めた茶(麦茶以外)として、失礼にあたるものだった。最近訪墨していないので判らないが、ひょっとしたらメキシコも現代は生活様式が変わっているかも知れない。

中南米には、ブラジル、コロンビア、グァテマラなど、コーヒー豆を産出する有数の国々があるが、メキシコもその一つである。ただ残念なことに良いものは米国とヨーロッパに買い占められて日本にはなかなか入ってこなかった。1996年の春だった。救世主が現れる。Mコーヒーがメキシコの名産地ハラバの畑を買い取り、良質の豆を販売できるようになったと訪ねて来たのである。代表が店のファンで、是非ラ・カシータさんで使っていただきたいとのお願いだった。それまでの業者には申し訳なかったが、この話に乗らない手はない。フレンチ・ローストに焙煎されたこの豆の香り、苦み、渋み、仄かな甘みは申し分なく、とても満足のゆくものだった。店の料理との相性も良く、顧客達に愛好者が増えていったのは言うまでも無い。メキシコには世界に類を見ない独創的なコーヒーがある。Café de Olla(カフェ・デ・オジャ)と呼ばれるそれは、古来から飲まれていて、Olla(土鍋の意)に煮出したコーヒーの中には、オレンジの皮、シナモンスティック、黒砂糖が入っている。畑仕事の合間の休憩時の飲み物で、労働の後の疲れを癒やす効果があるとされている。今ではメキシコ全土の飲食店で、デザートコーヒーとして最もポピュラーな存在となっている。2002年の夏の頃、店のオリジナル・デザートを模索していて、これをゼリーにしてみたら面白いと考えた。オレンジとシナモンの香りを付けたコーヒーをゼラチンで固めて冷やし、上に黒砂糖の蜜を流し、仕上げに生クリームで彩ると、えも言われぬ絶品が出来あたった。Cenote(セノーテ)と名付けたこのデザートは、常連客に徐々に気に入られ、今やラ・カシータの名物となっている。