メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第138章

山本寛斎さんとの出会い

偉大な星が消滅してしまった。2020年7月21日山本寛斎氏逝去の報道、私の心の中は大きな喪失感に被われていた。長年に渡り、ラ・カシータをこよなく愛していただいた顧客の一人である。日本が世界に誇るファッションデザイナーの、既成概念に捕らわれない奇抜な出で立ちは、来店の度にその存在感を示していた。いつも元気で明るく、楽しく、食事の時間を過ごされる中、近況を話されていた。昨年の秋だったか、「先週はずっと北極に居たよ」と聞かされた折には、凄い行動力だなと感心したものである。20年くらい前の頃だと記憶しているが、メキシコの食文化の話になり、本国の食材が世界に寄与した多大な部分、独創性豊かな先住民の食生活、個性溢れる献立の妙味など、日本のメキシコ料理に対する認識が浅いので、啓蒙しなければと力説していると、私がメキシコ料理の未来に果敢に挑戦する姿勢に共感されたのか、「素晴らしい!いや、素晴らしい!」と大きな声で賞賛されたこともあった。ある時は「メキシコ料理いいね、深いね、代官山でメキシカンの店をやろうかな」と冗談ぽく話されて、「競合店になるかもね?」と悪戯っ子のように笑っておられた。お気に入りのメニューは若鶏の唐辛子風味(Pollo Al Ajillo)、ポージョ・アル・アヒージョと発音するが、スペインのアヒージョとは異なると説明すると、興味津々に身を乗り出された。

スペイン語でニンニクをAjoと言うが、Ajjilloと変化すると『ニンニクを使ったもの』の意味になる。何に?という対象が要の部分だが、スペイン料理の基本はオリーブ油、解りきっている事実は了解されている。私たちのおにぎりやお茶漬けが『ご飯の』と注釈しなくても良いのと同じである。1521年にスペイン人達が上陸する以前、プレ・イスパニカの時代は数千年にわたり先住民の食文化があり、言語はナワトル語だった。唐辛子はChillli(チルリ)とAji(アヒ)と呼ばれ、前者は食用、後者は薬用だった。彼らとの交流が深まる中、ニンニクに出会い、Ajoの言葉を知る。メキシコの食用油はひまわりなどの植物油。Ajilloの響きに誘発され、それまでの唐辛子を使った調理法にニンニクが加わることとなる。使われる唐辛子は昆布に酷似した出汁が出るPasilla(パスィージャ)かGuajillo(ウァヒージョ)。食材の融合によってメキシコ独自の一皿が生み出されたのである。近代はスペインのアヒージョにも唐辛子が入ったものがあるが、前記の唐辛子が持つ、香りや旨味、風味には到底及ばない。「面白い!」と寛斎さんは納得し、そしてこの料理に心を奪われ、虜となっていった。印象的に覚えているのは、「また食べたい。今から行くから」と電話があり、「何分後ですか?」と聞いてみると、「今、札幌空港。とにかく席を押さえてね」の答え。何ともせっかちで無邪気な人柄である。常に前向きだった寛斎さん、心よりご冥福を!